さて、久々のブログ更新になります。
他のブログに書かせていただいたりしましたが、こっちに書くようなネタがなくて…
ブログのネタって結構難しいんですよ。
人生においてネタになるような面白いことって、そんなに頻繁に起こるもんじゃないですから。
ただ、日常を綴っただけの日記じゃ面白くないし、何か特定のトピックについて自分の考えを書くとどうしても偉そうになってしまう。
そんなわけで、まったく更新しなかったのですが
でも、そろそろ更新しないとブログが廃墟になってしまうと思ったので、
ちょっと偉そうになりますが、僕なりの「いい文章の書き方」について書きたいと思います。
「吾輩が、考える良い文章とは」
この間他の人のブログに書かせてもらったとき、「頭がよさそうな文章」っていうすごくうれしい感想をいただきまして、それ以降、一晩ずつどんどん調子に乗っていき、ついに現在、自分のことを「吾輩」と言い出すに至りました。
さて、今から吾輩が、「いい文章」もとい「頭がよさそうな文章」について、教示いたす。ウォッホン、ウォッホン、ゴホゴホ、ゲホッ、ウェッホンウェホン! ゲヘッ、オェエエエェ
さて、吾輩が考える頭のよさそうな文章を書く秘訣とはズバリ
頭が悪そうな文章を書かないこと
である。
吾輩は文学部卒だから文章を書くことについては経済学部以上には考えているつもりだが、でも、いい文章を書くコツなど知らん。知っていれば、今頃芥川賞をとって「アフロでファンキーなビート」と喜びを表現しているはずである。
吾輩が今芥川賞を取ることができずに、こうしてジンマシンをかきむしりながら実家のパソコンでブログを書いているっていうことは文才がないということである。
僕には、いい文章について語る資格など、ないのです…
でも悪い文章はある程度わかるので、これやっちゃうと頭悪そうに思われるよっていう文章について辛辣に書いていこうと思います。
さて、まず、一番頭悪そうな文章は、文法がなっていないものです。
国語ではあまり習わないですけど、英語ではおなじみですよね、SVOC。
サブジェクト(主語)、ヴァーブ(述語)、オブジェクト(目的語)、コンプリメント(補語)
これを見てジンマシンを起こす人もいるかもしれませんが、実はこれ、日本語を話すうえでも結構大事です。留学してたときとか結構「文法なんてわからなくても、英語は喋れるんだぜ」的な人がいましたけど、(実際文法なんてわからなくても英語は通じます。相手の言ってることは何となくニュアンスでわかるし、こっちが文法でたらめでも相手が察してくれます)結構そういう人って日本語もなってなかったり…
SVOC(M)の中でも一番大事なのは主語と述語ですよね。
なので、そこがずれていたりする文章が特に頭が悪いような印象を受けます。
主語と述語がずれるとか、そんなわけねえだろ、と思われるかもしれませんが、実は気を付けていないと僕もよくやっちゃいます。
特に一文が長い文章を書くときは要注意です。例えば
ある日、俺が公園の砂場で遊んでいる5歳ぐらいの子供のバケツを無理やり奪うと、突然泣き出して母親に言いつけた。
うわ、頭悪そう。
何が悪いって最初の主語が最後の述語の主語になってないところが最悪です。
これを文法にのっとった文章として読むと、書いてあるのは「男が子供のバケツを奪ったかと思うと突然泣き出して母親に言いつけた」ということになり、この男、相当やばいです。
でも事実はおそらくそうではありません。バケツを奪ったのは「俺」ですが、突然泣き出して母親に言いつけたのは子供のはずです。
っていうことはまあ、文法めちゃくちゃでも読んだ瞬間わかりますよね。文法出来なくても英語通じるってのはこういうことです。
どうやら、この文章に足りないのは「子供は」という主語ですね。「奪う」人と「泣き出す」人が別なわけですから、主語は二つ必要なんですが、こういう文章だと、目的語として出てきている「5歳ぐらいの子供」を勝手に主語に置き換えて文を続けてしまうことが良くあります。
いわばエアロ…ケアレスミス
なので、最後に主語と述語がちゃんとあってるかの確認は絶対必要ですね。(僕は面倒なのでしません。頭悪そうでも、つたわりゃいいと思ってるし)
他に頭悪そうなのは接続語が続く文章とかですかね・・・
例えば「なので」が続く文章
昨日はとてもいい天気だったので、とても心がぽかぽかしてきて、優しい気持ちになったので、あの人が包丁をもって泣きながら脅してきたとき、すごくかわいそうになってきたので、思わず持っていた全財産600円を差し出してしまったのです。
ので、ので、が続くと頭悪そうですよね。
そんな時は単純に文を切れば解決。
昨日はとてもいい天気だったので、心がポカポカしてきて優しい気持ちになった。だからあの人が包丁をもって泣きながら脅してきたときすごくかわいそうになって、思わず持っていた全財産600円を差し出してしまったのです。
文を切って、「なので」だけじゃかっこ悪いから「だから」「○○して~」など別の順接で置き換えます。(「なので」「だから」「そのため」など、理由を説明する順接は一文に2つ以上入れない方がいいです)
同じ順接でも「なので」ばかり使っていれば頭が悪そうに見えます。しかし、文章を切っていろいろな順接を使い分けることによって接続語の連続による頭の悪そうさを軽減することができるのです。
でも、逆説の場合、そうはいかないことがあります。
基本的に逆説は3行に2回以上使わないほうがいいです。すごくわかりづらくなります。
例えば、この文
「同じ順接でも「なので」ばかり使っていれば頭が悪そうに見えます。しかし、文章を切っていろいろな順接を使い分けることによって接続語の連続による頭の悪そうさを軽減することができるのです。
でも、逆説の場合、そうはいかないことがあります。」
ちゃんと文章を切ってるし、逆説も「しかし」と「でも」で使い分けてるのに、なんか、頭悪そうですよね。
これは、語り方の問題でして、ちかいところで逆説が2つ以上続くと、ちゃんと考えが整理できてないような印象を与えてしまうのです。
つまり、話が二転三転するってやつ、頭の中で考えがまとまってない人の話し方ですね。
加工食品まで対象に入れちゃうと、システムが煩雑になる恐れがある。あ、でも軽減税率を取り入れる時点でシステムは結局整備しなおさなきゃいけないわけで、でもやっぱ、財源の問題があるので、生鮮食品だけに、あ、でも、そうなるとパンとかも除外されるから、庶民の感覚からすれば一つも負担軽減にはなっていないわけで、その分買い控えが出れば結局システム整備にだけお金がかかるからむしろ軽減税率自体・・・
おまえ! 整理して話せよ!ってなりますよね。
だから、逆説は原則繰り返さないほうがよい。逆説を二つ続けて使いたいときは二つ目の逆説を「限定」にすることでたいていのことはきれいに収まるような気がします。
「同じ順接でも「なので」ばかり使っていれば頭が悪そうに見えます。しかし、文章を切っていろいろな順接を使い分けることによって接続語の連続による頭の悪そうさを軽減することができるのです。
ただ、逆説の場合はそうはいかないことがあります。」
「でも」を「ただ」にするだけで、ちょっときれいになった感じがします。
もっとも、小説なんかでは思考を追ってあえて逆説を使いまくる文章もありますが。
「犯人はいったいどこから? ドアのカギは内側からかかっていた。しかし、窓から逃げようにもこの高さじゃ…。通気口があるが、あんなところを通れるのは子供ぐらいのもの。しかし、あそこから何か物を投げ入れることは可能だ。しかし、一体何を?」
あるあるですね。
一応今日は以上。他にも文章のリズムとか、いろいろありますけど、需要があればまた書きます。